【第5回 ともいき法話】のお知らせ
浄土宗宗祖・法然上人は、1175年(承安5年)に浄土宗を開かれました。
明年、令和6年、浄土宗は開宗850年を迎えます。
法然上人は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることにより、すべての人が平等に阿弥陀さまに救われていく道を説かれました。浄土宗を開かれた理念について、法然上人は次のように仰っています。「私が浄土宗を立てた意趣(いしゅ=考え)は、凡夫(ぼんぶ=仏教の道理を理解していない者)が阿弥陀仏の報土(ほうど=西方極楽浄土)に往生できることを示すためである。」と。その開宗の理念を重く尊び、「法然上人開宗の御心を示す」として、法然上人のみ教えを広く多くの人々に、お伝えし知らしめていくことといたしました。
本年と明年の法話会では、法然上人のご生涯を通じて、苦難の中に深い悲しみを背負う者や、人々迷える姿にどうしたら手を差し伸べることができるのか、と寄り添う心【悲】と心を尽くす【慈】、上人の行いや教えについて、お話し申し上げながら、四人の説教師が「ともいきの心」の大切さについてお伝えします。修養の一日として、多くのご参加をお待ちいたします。
【日時】 令和5年6月4日(日)(10時半受付)
午前11時 法話1 本山布教師 杉浦尋徳上人
午前11時半 法話2 本山布教師 土川憲弥上人
正午 (休憩) 昼 食
午後1時 法話3 本山布教師 奥田昭應上人
午後2時 法話4 光明寺法主 柴田哲彦台下
【会場】 光明寺開山堂
【料金】 1,000円 (昼食弁当付 2,500円)
【定員】 50名 (事前にお申し込み下さい。)
予約はお電話、FAX、E-mailにて受け付けております。
TEL 0467-22-0603 / FAX 0467-22-0622【お問合せ:教務部】
E-mail s-yamazawa@komyoji-kamakura.or.jp
※【お名前】【人数】【ご連絡先電話番号】【昼食の有無】をお知らせください。
四苦八苦の苦海を渡るには
この世に生まれた者が、四苦八苦の波に翻弄され、苦しみ悩みの海に流され続ける日暮らしを、仏教では生死と呼びます。お経では、苦海の大海は、果てしなく(無辺)・底なく甚だ深く(甚深)・難く(難度)・汲み尽くし難い(不可飲)という。
法然上人は籠られた比叡山黒谷別所で、「報恩蔵をひらきて出離生死の為、衆生済度の為に、一切経をひらき見給うこと五遍なり」と伝えられます。報恩蔵とはあらゆる仏典(一切経)を収めた経蔵のことです。上人は報恩蔵にある膨大な仏典を何度も紐解き、ご自身が、そしてすべての人々が生死の苦海を乗り越えることのできる教えを、眠りを忘れて探し求められたのです。何故なら、自・他が共に手を取り合い苦海を乗り越える事が、大いなる慈悲に根ざす仏教が大事にするものだからです。仏教を開かれた釈尊は、煩悩に縛られている人々を、なんとか苦しみの絆から解放しようと、常に慈悲の大切さを説かれました。法然上人もまた、釈尊が歩まれたそのような道をたどられていたのです。
では法然上人が報恩蔵に探し求めた安らぎの境地に至る道とは、どのようなものだったのでしょう。それは、①欲望の暴流を静める戒学、②それによって心を安定させ真理を瞑想する定学、③それを深めて智慧の眼を開く慧学、という伝統的な戒・定・慧を実践する道ではなかったのです。何故なら、それらはすぐれた資質の人には可能であっても、多くの人には行い難い道だったからです。
悲しみ悲しみ聖教に向かい
その当時の法然上人の苦悩は、門弟の二祖聖光上人によって次のように伝えられています。
「悲しきかな、悲しきかな、いかがせん、いかがせん。ここに予がごとき者は、すでに戒定慧三学の器にあらず。この三学の外に我が心に相応する法門ありや、わが身に堪えたる修行やあると、万の智者に求め、もろもろの学者に訪いしに、教える人もなく、示す倫もなし」。つまり戒・定・慧の三学の実践が容易ならざるものであることを、身を以って実感した法然上人は、三学の実践に堪えられない者でも安穏の境地に至れる道を、悲痛な思いで探し求め、各宗派の高僧を尋ね歩かれたのです。けれども、教示してくれる人には出会えませんでした。法然上人はそれでもなお、「歎き歎き経蔵に入り、悲しみ悲しみ聖教に向かい」、求道の歩みを止めることはなかったのです。両親との別れという悲しみで始まった法然上人の求道は、またも大きな悲しみと歎きの壁に行き当たったのです。
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